タカマツペアのルーツは野球だった。バドミントン女子ダブルス世界ランク1位で1次リーグを3戦全勝で1位通過した高橋礼華(26)松友美佐紀(24=ともに日本ユニシス)組が、今日15日、準々決勝に臨む。結成10年目になる2人は息の合ったコンビネーションもさることながら、個々の技術も世界トップクラス。強さの秘密は、それぞれの幼少期にあった。

 前衛の松友がネット際に詰めて決めるかと思えば、後衛の高橋が後ろから力強いスマッシュで打ち抜く。しかも2人は目まぐるしくポジションを変え、攻め方は変幻自在。それが「タカマツ」ペアの強さだ。ともに元シングルスの選手。世界に通じる技術は、それぞれの幼少期に育まれた。

 徳島生まれの松友は、何事も自分で決めないと気が済まない頑固な子だった。地元のクラブ「藍住エンジェル」で競技を始めたのは5歳。足が速く、のみ込みが早かったため、すぐ上達した。だが、父伸二さんは「美佐紀はやるならとことんやるはず、強くなればお金がかかる」と思い、小3の娘をこう問い詰めた。「本気でやるのかやらないのか」。答えは「やりたい」。涙ながらに即答した。

 そこから父のサポートが始まった。元球児で、社会人でも草野球をしていた伸二さんは「バドミントンと動きが似ている」と野球にヒントを得た練習を娘に課した。1つは「シャトルを指で打て」。実際の手はグリップを握るだけで、シャトルに触るのはラケットの先だが、野球でグラブの中の指が硬球をつかむように、ラケットの先に指があるよう意識して打つよう言い聞かせた。使い古しのネットを自宅の庭にはり、ショットを繰り返すことで、その感覚を染みこませた。

 スマッシュを強化するため、投手のシャドーピッチングのように、タオルを肩口から振り下ろす。手首を返す感覚を磨くため、ひしゃくに水を入れて、中の水を散らさないよう固まりで飛ばす。父が考えた独創的な練習が、松友の繊細なショットを生んだ。

 一方、1学年上で奈良県生まれの高橋は、運動神経が悪かった。母智子さんがコーチを務める「橿原ジュニア」に幼い頃から出入りをしていたのが始めるきっかけ。だが、最初は空振りばかり。打つ動作の上半身と下半身がバラバラだった。1日400スイングの個人特訓を受け、やっとフォームが整ったのは小4の頃。その年に全国大会で優勝すると「もっと強くなりたい」と向上心が生まれた。

 元社会人野球選手の父昭博さんは、そんな礼華にあえて何も教えなかった。「うちは放任主義」。高校卒業後、「大和高田クラブ」の外野手兼捕手としてプレー。コーチ、監督と37年間野球畑で生きてきた。バドミントンの技術は分からなくても言えることがあった。「強くなるにはどうしたらいいか自分で考えたらいい。他の人と違う練習をするのが、本当の練習や」。

 そこから高橋の自主練習が始まった。クラブの練習を終え帰ってくるのは夜9時。そこから約1時間、玄関の門灯を頼りにランニング、ダッシュ、フットワーク、素振りを小学校卒業まで毎日こなした。父も母も一切口出ししなかった。

 教わらなくても父から受け継いでいることがある。肩の強さだ。昭博さんは現役時は「(投げたら)95メートルのスタンドに届いた」強肩強打の選手で、「能力はわたし、根性は母に似たのかな」。

 頂点まであと3勝。松友の緻密さと高橋の力強さ、2人の力ががっちりかみ合えば、日本バドミントン界初の金メダルが見えてくる。【高場泉穂】

 ◆松友美佐紀(まつとも・みさき)1992年(平4)2月8日、徳島県藍住町生まれ。5歳で競技を始める。徳島中を経て、宮城・聖ウルスラ学院英智に入学。高橋とのダブルスで11~13年全日本選3連覇。同大会早川との混合でも13、14年と連覇。159センチ、50キロ。家族は両親、姉。

 ◆高橋礼華(たかはし・あやか)1990年(平2)4月19日、奈良県橿原市生まれ。5歳で競技を始める。中学から宮城の聖ウルスラ学院英智に入り、高2で松友とペアを結成。14年スーパーシリーズファイナルで日本勢初の優勝。16年全英オープン優勝。165センチ、60キロ。家族は両親、妹。

 ▼結成10年 小学生の時に出会い、文通を続けた2人がペアを組むのは、高橋が宮城・聖ウルスラ学院英智高2年、松友が1年の07年秋。今年で結成10年目。高橋は松友を「松友」、松友は高橋を「先輩」と呼ぶ。